なぜ、諮問会議から担当閣僚が外されるのでしょうか?
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/10/28/mitsuhashi-69/
FROM 三橋貴明
【今週のNewsピックアップ】
●特区と諮問会議
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11646880828.html
●「考え方」が世界を支配する
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11648548226.html
いやあ、吃驚しました。
まさか、安倍政権が「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本政府への米国政府の年次改革要望書(いわゆる年次改革要望書)」2002年版の「指示」に従い、国家戦略特区を造り、規制緩和の実験を行い、しかも特区の中身を決める「特区諮問会議」から、厚生労働大臣や農林水産大臣を外すとは・・・。
そもそも、特区諮問会議に入った「民間議員」(と言いつつ、ただの民間人)が中心に、社会実験となる特区の中身を決めるのも異常ですし、会議から担当の閣僚を外すのはさらに異常です。自民党の意思決定プロセスはもちろんのこと、内閣までもが「無視」されております。
なぜ、諮問会議から担当閣僚が外されるのでしょうか。もちろん、閣僚は自分が管轄する産業のことを考え、規制緩和のターゲットとなっている農産業、医療産業、エネルギー産業などの規制(というか「法律」)を変えることに抵抗するためです。そして、「有権者から選挙で選ばれた国会議員」である閣僚が、法律変更(=規制緩和)に抵抗することは、民主主義国として正当化されます。
それにも関わらず、担当閣僚は「規制緩和に抵抗するから」という理由で諮問会議から外す、と。日本の民主主義は、試練に直面することになりました。
日本の政界はバブル崩壊後(特に、小泉政権期)、特定業界の「有権者」のバックアップを受けた議員たち、いわゆる「族議員」に「抵抗勢力」というレッテルを貼り、批判してきました。とはいえ、特定業界の「有権者」から票を得ている以上、族議員が自らを推した産業のために働くのは当たりまえです。
そもそも、人間という不完全な生物の共同体が「国家」なのです。さらには、国民から徴収した税金を「裁量」で支出するのが政府あるいは政治になります。
裁量とは、「個人の判断」を意味しています。価値観を同じくする人間は存在しないため、特定の人の「裁量」は、他の人にとっては「不満」にならざるを得ません。予算という限られたリソース(お金)を、いかに「国家全体」のために支出するかをい決めるのが政治であって、「完璧な解」など存在し得ません。
だからこそ、民主主義国において「主権」は国民が保有しているのです。国民が選挙を通じ、裁量的な判断を行う政治家を決定する。すなわち、国民は予算の裁量的な支出に間接的に関与する。もちろん、請願や陳情などの活動を通じ、より直接的に予算支出に関与しても構いません。それが、民主主義の基本です。
FROM 三橋貴明
【今週のNewsピックアップ】
●特区と諮問会議
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11646880828.html
●「考え方」が世界を支配する
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11648548226.html
いやあ、吃驚しました。
まさか、安倍政権が「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本政府への米国政府の年次改革要望書(いわゆる年次改革要望書)」2002年版の「指示」に従い、国家戦略特区を造り、規制緩和の実験を行い、しかも特区の中身を決める「特区諮問会議」から、厚生労働大臣や農林水産大臣を外すとは・・・。
そもそも、特区諮問会議に入った「民間議員」(と言いつつ、ただの民間人)が中心に、社会実験となる特区の中身を決めるのも異常ですし、会議から担当の閣僚を外すのはさらに異常です。自民党の意思決定プロセスはもちろんのこと、内閣までもが「無視」されております。
なぜ、諮問会議から担当閣僚が外されるのでしょうか。もちろん、閣僚は自分が管轄する産業のことを考え、規制緩和のターゲットとなっている農産業、医療産業、エネルギー産業などの規制(というか「法律」)を変えることに抵抗するためです。そして、「有権者から選挙で選ばれた国会議員」である閣僚が、法律変更(=規制緩和)に抵抗することは、民主主義国として正当化されます。
それにも関わらず、担当閣僚は「規制緩和に抵抗するから」という理由で諮問会議から外す、と。日本の民主主義は、試練に直面することになりました。
日本の政界はバブル崩壊後(特に、小泉政権期)、特定業界の「有権者」のバックアップを受けた議員たち、いわゆる「族議員」に「抵抗勢力」というレッテルを貼り、批判してきました。とはいえ、特定業界の「有権者」から票を得ている以上、族議員が自らを推した産業のために働くのは当たりまえです。
そもそも、人間という不完全な生物の共同体が「国家」なのです。さらには、国民から徴収した税金を「裁量」で支出するのが政府あるいは政治になります。
裁量とは、「個人の判断」を意味しています。価値観を同じくする人間は存在しないため、特定の人の「裁量」は、他の人にとっては「不満」にならざるを得ません。予算という限られたリソース(お金)を、いかに「国家全体」のために支出するかをい決めるのが政治であって、「完璧な解」など存在し得ません。
だからこそ、民主主義国において「主権」は国民が保有しているのです。国民が選挙を通じ、裁量的な判断を行う政治家を決定する。すなわち、国民は予算の裁量的な支出に間接的に関与する。もちろん、請願や陳情などの活動を通じ、より直接的に予算支出に関与しても構いません。それが、民主主義の基本です。